「氣」の健康教室  活動報告
第 12 回 「氣」の健康教室 活動報告

日  程:H23年09月25日(日)13:00~16:00
講  師:塩田恭嗣先生(心身統一合氣道会 大阪本部 五段)
参加者:9名


  各地に被害をもたらした台風15号が過ぎ去った後、秋らしい氣持ちのよい晴天の日が続く中、今日第12回
 氣の健康教室がありました。講師は塩田恭嗣先生。今回も2名の新しい参加者がありました。この健康教室は
 ”来るを拒まず、去るを追はず”入会金もなく、1回毎の参加費でオープンに開催しています。目に見えない「氣」
 というものを、すぐに理解するのは難しいかもしれませんが、故 藤平光一先生が確立された心身統一合氣道
 は本物であると私は確信しています。どうぞ、その価値に氣づくまで続けていただくことを希望します。
  あいわす倶楽部が氣の健康教室を始めて1年が経過しました。主宰伊藤康雄は歯科医です。医者は病氣を
 治すべく治療をします。しかし、病氣が治るか否かは患者さん側にあります。患者さんに治る力がなければ、病
 氣は治りません。生きているということは天地の氣によって生かされているのです。氣の流れが止まった時がす
 なわち死です。氣を活かす術(すべ)をこの教室で学び、生命力(免疫力、自然治癒力)を高めて、健康にそして
 活き活きと人生を潤歩していただきたいというのが、私の願いです。
  これから2年目に入りますが、私はこの教室をずっと続けていくつもりです。一人でも多くの人に利用していた
 だき、自分の人生に役立たせていただけると幸いです。

  それでは早速始めましょう。新しい参加者が居られましたので、本日も基本のおさらいから入っていきました。
 このおさらいが理解度を確認するのに大変ありがたいです。
・心身統一(= 心身一如)とは、自然体であるということ。
 自然体とはいちばん楽で安定した姿勢であるということ。
・心身統一四大原則を紹介
 氣のテストにより、目に見えない氣の存在を体感した。
続いて本日の課業に入っていきました。

・行修十訓
 故 藤平光一先生が、人間は如何にあるべきかを心身統一道に基づいて思索し、目標として掲げた人生の道
 標である。
 「修行」と「行修」の違いは、修行とは修めて(学んで)日常生活に活かすこと。しかし、往々にして学んだだけで
 活かせていない場合がある。一方、行修とは行いながら学ぶという意味で、行うことつまり活かすことを重要視
 している。
 行修十訓
 一、宇宙霊性(うちゅうれいせい)     六、寛裕大度(かんゆうたいど)
 二、萬有愛護(ばんゆうあいご)      七、深慮明察(しんりょめいさつ)
 三、感謝報恩(かんしゃほうおん)     八、泰然不動(たいぜんふどう)
 四、陰徳果報(いんとくかほう)      九、精氣溌剌(せいきはつらつ)
 五、慈眼温容(じがんおんよう)        十、孜々不撓(ししふとう) 

 ※教本「氣の実在」P189~を参照

 一、宇宙霊性
    天地自然の万物すべて、その根源は「氣」である。そしてその氣が瞬時も止まることなく、生成流転してい
   るのが天地の姿であり、天地自体が一つの大いなる生命体なのである。宇宙生命体の根源である「氣」を
   指して、「宇宙霊」と呼んでいる。私たちはこの宇宙霊の一部を享けて我が生命力とし、この世に存在して
   いる。ゆえに自分自身が宇宙霊と一体になった時が、人間本来の姿であり、最大の力を発し得る。この自
   分の「霊性」を悟った時、初めて万有と共に生き、天地の心を以って、我が心となす。
   心を五つに分けて捉えることができる。
   五つの心
   一、物質心
     物体にも心がある。肉体を構成している細胞一つ一つにも心がある
   二、植物心
     生命を存続させるための氣の営み
   三、動物心
     本能、すなわち欲するままに動く心
   四、理性心
     秩序を保つために是非を判断する心
   五、霊性心
     人間社会に生ずる相対的な価値判断ではなく、宇宙の絶対的真理を映し出す心

 二、萬有愛護
    我が生命が宇宙霊の一部を享けていることを悟ったなら、同時に万物すべて宇宙霊、すなわち天地の氣
  より生じ、この世に存在していることを知らねばならない。我々は、同じ天地の氣より生じた同胞を慈しむ義
  務がある。人類だけでなく、万物すべてそれぞれの生命を尊重し、活かすことが萬有愛護の精神である。
 三、感謝報恩
   私達の生命は天地の生命の一部であり、天地の法則の中に生かされている。天地の法則を離れては生
  存することはできない。常に天地に守られていることを知り、まず天地に感謝する氣持ちが起きることが大
  切である。
  この心あって初めて、すべてに感謝する心も現れる。世の人々が皆感謝し合い、人の為に生きることを喜び
  とすれば、地上の楽園が現出するのである。
 四、陰徳果報
   人の為、世の為に尽くして、しかもその報酬を求むる心もない。人の見ざる所、聞かざる所に善行を積む。
  これが「陰徳」である。陰徳を積むことは、ちょうど天に貯金していると思えばよい。善因善果、自分の後を
  生を願ったり、子孫の繁栄を願ったりしなくとも、陰徳を積んでいればあとは天地が結果を出してくれるので
  ある。
 五、慈眼温容
   精神集中といって一点を凝視することは心身統一の状態とは異なる。凝視していると眼に力が入る。そし
  て、自然に全身に力が入る。全身をリラックスし、しかも萬有愛護、感謝報恩の精神を保っていれば、自ら
  慈眼温容になる。毎朝、顔を洗って鏡をのぞき見る時、自分の顔が慈眼温容を備えているか確認するとよ
  い。
 六、寛裕大度
   人を暖かく包容できる人を寛裕大度の人という。そうなるためには、感情に流されず、自分の心をしずめ
  、心の眼(霊性心)でもって真の長所短所を判別できる能力を養うことが必要である。そして、人の長所をま
  ず見つけ、その人の短所はこれを柔らかく包容する。相手の足の汚れているのを見たら、まず自分の足は
  どうだろうと自分の足下を振り返る(脚下照顧)。このように広い度量を以て初めて、人を許し、人を愛し、人
  を数化できるのである。
 七、深慮明察
   天地は一つの生命体であり、これを宇宙霊という。人間も宇宙霊の分派を受けて存在しているのである。
  これを悟り心理を映ずる心を霊性心という。平生において油断せず、氣の意志法、氣の呼吸法を修練し、
  いつでも心をしずめられる工夫をしておく。そうすると、大事に臨んで即座に霊性心を以て正しく判断できる
  ようになる。これを深慮明察という。
 八、泰然不動
   氣の意志法で示したように、自分は無限の半径で描いた無限の円周である天地の中心であり、天地を集
  約したものが「我」であり、更に集約したものが臍下一点であり、更に無限に縮小して止まることなき所、自
  分が天地と一体たり得る所にすべてを放り尽くしてしまう。
   人間であるから、感情はある。恐怖、憤怒、焦繰、それらすべてを臍下の一点に放り込んで天地に任せき
  るよう、修練することが肝要である。そうしてこそ、如何なる事態にも動じない泰然不動の真胆を養うことが
  できる。
 九、精氣潑刺
   最近の人々は天地より生命を与えられているという厳粛な事実を忘れ、自分の身体のみを自分と思い、天
  地から隔離されているから常に孤独になり、元氣を失い、氣の欠乏症になっている。
   人間の五体の氣が天地の氣と交流していることを「生きている」という。氣を出すから天地より新しい氣が五
  体に入り交流がよくなるのであり、天地の氣が五体にあり余って飛び散っている形をさして「精氣潑刺」という。
   常に氣を出して天地の氣と交流をはかり、如何なる事態が来ようとも物ともせず、精氣潑刺たる人生を送ら
  なければならない。
 十、孜々不撓
   霊性心でこれは正しいと判断したら、とにかくこれをやり続けること。如何なる壁につき当たろうと、それを乗
  り越えることができたならどんな大事をも成し遂げられる人間に成長することができる。そして、日常天地に任
  せ切り、天地の法則に従って、ありのままの心、ありのままの身体で生活し、何事が起きようとも従容(しょう
  よう)として道を行い、悠々たる人生を送ることが真の孜々不撓ということである。   

・氣の呼吸法
  ・吸酸除炭作用
   酸素を(吸って体内に)取り入れ、二酸化炭素を(吐いて体外)に排出する。
  ・外呼吸(肺での吸酸除炭作用)と内呼吸(全身の細胞での吸酸除炭作用)をあわせて全身呼吸という。
  ・氣の補給になる。
  ・吐くに任せ、吸うに任せる
   氣の呼吸法を行うことにより、楽で氣持ちよくならなければならない。
   息を長くして苦しくては何にもならない。
  ・氣の呼吸法の五原則
   一、息が洩れるのではなく吐く
   二、できるだけ静かな音で吐く
   三、頭部の氣より吐き始め、爪先の氣まで吐く
   四、鼻端より吸い、爪先から始まり頭部に充満するまで吸い入れる
   五、吸い終わったら、臍下の一点に無限に集中する

・氣の体操法
  教本「氣の実在」P144よりを参照して下さい。
・氣圧療法   腹
  教本「氣と健康」を参照して下さい。

  

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